企業情報

沿革

笹徳印刷の歴史は、ひとつの紙函から始まりました。

笹徳印刷は1世紀以上にも及ぶ歴史をもっています。1890年(明治23年)、笹徳印刷の創始者である杉山徳三郎が名古屋・茶屋町(現在の中区丸の内2丁目)に“笹徳”杉山紙函店の名で、紙函の製造業を始めました。その後、業界のトップをきって1962年(昭和37年)にヨーロッパより電子製版を導入しました。そしていち早くデジタル化に取り組み、現在はハイクオリティなDTPシステムを確立し、常に新しい情報文化の創造を主眼に歩んでいます。 笹徳印刷グループは総合印刷業として、着実に歩み続けています。

社名の由来

笹の葉には殺菌効果があるとされ、昔からお弁当を笹の葉で包んだりして、携帯していました。そこから、『モノを包む』シンボルとして、笹の印が使われるようになりました。長らく都があった京都の名産品のひとつに、菓子箱や文庫といわれる紙や布を何枚も重ね合わせて造る包装容器があります。その業者に「笹屋」があり、笹徳印刷の創業者である杉山徳三郎は、笹屋で函製造を修行。のれん分けの折り、「笹」の文字の使用を許されました。そこで開業時に、笹屋の笹と徳三郎の徳を組み合わせて、「笹徳」を屋号としました。

笹徳印刷のあゆみ
明治から昭和
・1890年8月(明治23年) 名古屋市茶屋町に紙器製造業を開業
・1962年10月(昭和37年) 業界のトップをきってヨーロッパより電子製版機及び 各種精鋭機械を導入
・1963年10月(昭和38年) 愛知郡豊明町(現豊明市)に総合印刷工場建設、本社・工場を移転
・1984年2月(昭和59年) 本社工場にトータルスキャナーシステム Σ2000を導入
・1986年4月(昭和61年) 埼玉県児玉郡(現本庄市)に関東工場を建設
・1987年1月(昭和62年) 愛知県一宮市に軟包装専門工場を新設
紙器製造業を改行。製版機・精密機械を導入 紙器製造業を改行。製版機・精密機械を導入
グラビア印刷方式による整備工場を新設。DDCP・CTPシステム導入のフルデジタルライン。パッケージクリーン化工場。クリーン化総合印刷工場。 グラビア印刷方式による整備工場を新設。DDCP・CTPシステム導入のフルデジタルライン。パッケージクリーン化工場。クリーン化総合印刷工場。
平成
・1990年4月(平成2年) 笹徳印刷の研究した液晶カラーフィルター生産方式が認められ、本格的な研究設備を導入
・1993年7月(平成5年) 液晶カラーフィルターの本格的な生産体制に入る
・1994年1月(平成6年) 豊明市栄町寺前に寺前工場グラビア印刷方式によるネピアラインの生産設備工場を新設
・1997年11月(平成9年) 無錫世徳紙品印務有限公司を設立し、中国に進出
・2000年10月(平成12年) DDCP・CTPシステム導入によるフルデジタルライン完成
・2002年1月(平成14年) 本社パッケージ工場クリーン化完成
・2004年11月(平成16年) 笹徳印刷の独資で世徳印刷(無錫)有限公司を設立
・2005年8月(平成17年) 関東工場第二期工事のパッケージクリーン化工場の完成
・2006年5月(平成18年) 世徳印刷(無錫)有限公司クリーン化総合印刷工場完成
・2013年12月(平成25年) PT. SASATOKU INDONESIAを設立し、インドネシアに進出
・2017年1月(平成29年) 本社事務棟竣工、(株)サンライト本社が本社事務棟に移転
・2018年7月(平成30年) フルフィルメントサービス立ち上げに伴い、FFS本部 第一センターを開設
・2019年4月(平成31年) 本社パッケージ工場を効率化のため再編
令和
・2022年7月(令和4年) 長野営業所を移転し関東甲信越事務所に名称変更
・2023年4月(令和5年) 世徳印刷科技(無錫)有限公司 営業開始
・2023年9月(令和5年) 東証スタンダード市場・名証メイン市場に上場